市電保存館

 大阪市電は、1903年9月12日に花園橋−築港桟橋間約5kmが開業し、1969年3月31日に惜しまれながら歴史に幕を閉じるまで、延べ1700余両の車両が活躍してきました。市電保存館は、大阪市電の歴史的に価値ある車両を永久保存するため、1974年に設置されました。
 市電保存館は、もともと港区田中町の八幡屋交通公園内にありましたが、大阪中央体育館建設に伴い、1993年に住之江区緑木一丁目の大阪市交通局緑木検車区内に移転しました。
 このページでは、市電保存館の概要と、保存車両についてご紹介します(「市電保存館 見学のしおり」平成5年7月より)。
 なお写真は、1993年7月27日〜8月5日に緑木検車場で行われた「市電保存車両展示会」において撮影したものです。

市電保存館の概要
場所:大阪市住之江区緑木1−4−64(緑木検車場内)
構造:鉄筋平屋建
面積:444u
竣工:1993(平成5)年3月31日

保存車両
2階付き電車(5号車)
 創業初期の明治37年から44年まで、主として築港線を走り、大阪市電の名物として、魚釣り電車、納涼電車のニックネームで親しまれた2階付き電車の復元車。この車両は、昭和28年の市電創業50周年記念に大正12年製720号車を改造して復元したもの。
 
11号客車(30号)
 2期線開通後大量につくられた4輪車。運転台前面の窓や出入扉がない初期の形で、腰細のサイドパネルが昔懐かしい形態を残している。この車両は、大正11年に一度廃車されたものを昭和30年に復元したもの。
 
501型(528号)
 大阪市電初のボギー車として明治44年に登場。市電としては日本最初の空気ブレーキ付き車両で、大小2個の車輪からなるマキシマムトラクション台車のなど当時では新しい装備、技術を積極的に取り入れている。大阪市電では現役車両中最古車。この車両は、昭和26年に一度廃車されたものを、昭和43年に復元したもの。
 
散水車(25号車)
 昭和初期までは道路が未舗装で、電車が通る度に砂ぼこりが立つため、明治43年から散水車が登場し、水撒き電車と呼ばれていた。この車両は大正14年製で、4輪散水車としては最終製造車。戦時中客車に改造される予定が資材焼失のため残ったもの。
 
1601型(1644号車)
 大阪市電最初の鋼鉄製大型低床ボギー車で、台車は大阪市電型と呼ばれる鋳鋼製のウィングバネ式全コイルスプリングという当時としては画期的なものだった。主電動機はドイツ製の弱め界磁付き。この車両は、昭和4年製で昭和41年に廃車されそのまま保存されたもの。
 
3001型(3050号車)
 大阪市電最後の新造車。カム軸式複式制御装置、弾性車両及び非常ブレーキ用電磁トラックブレーキを装備しており、当時の路面電車界では最高性能車といわれた。昭和31年に製造され、市電全廃の昭和44年3月末日まで阪急東口−守口間を走っていた。

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