阪神・淡路大震災当日の振替乗車票(1995.1.17)

 1995年1月17日5:46発生した阪神大震災の日の朝、私の住んでいた南河内郡河南町でも、ドーンと縦揺れが来た後、ゆらゆらとした横揺れを感じました。
 これはかなりの地震だな、と直感してテレビを付けると、NHKで宮田修アナウンサーがさっそくニュース速報をしていました。軒並み震度6と出ていましたが、神戸の震度が出ていなかったこともあり、この時点ではあれほど大きな地震になっているとはわかりませんでした。
 でも、とりあえず職場のある新大阪まで出勤することにしました。平常通り運行していた金剛バスで近鉄の最寄り駅まで来ました。意外なことに、近鉄長野線・南大阪線はきっちり動いていました。余震で一時停止しこそしましたが、5分ほどしてまた走り出し、少し遅れながらもあべの橋駅に8:30頃無事到着しました。
 ところが、地下鉄御堂筋線が全く動いていません。このとき、地下鉄の改札機のところで配っていたのが、この「振替乗車票」です。とりあえずもらいましたが、どのバスにのればいいのかわかりませんでしたので、結局使いませんでした。

 しかたなしに、近鉄あべの東口のケーブルテレビコーナーで音声のでない画面を見ていますと、NHKでヘリコプターから撮ったあの横倒しになった阪神高速の状況が映し出されていました。このとき、神戸での被害の大きさをはじめて知りました。
 10:30頃に、堺筋線が動いている、との情報があり、動物園前駅まで歩くことにしました。そして堺筋線に乗って(もちろん振替輸送扱い)扇町駅まで行き、そこからJR大阪駅前まで歩きました。
 市バスはとりあえず動いていましたので、市バスで淀川区役所前までいき、そこから新大阪駅方面に行くバスに乗り換え、新大阪の職場にやっとたどりついたのは13:30頃でした。職場はひどい状態で、ロッカーは開いて中のものが飛び出したり、積み重ねられていたロッカーがワープロの横に滑り落ちたりしていて、その片づけに追われました。もし、勤務時間中でワープロ打ちの最中だったら、ロッカーが落ちてきて命を落としていたかも、と思うとぞっとしました。
 帰りは、いちおう御堂筋線は動いていましたので、通常ルートで帰宅しました。その日の晩は、ずっとテレビの緊急報道特番を食い入るように見続けていました。
 神戸などの方々のたいへんさには足下にはもちろん及びませんが、私にとっても1995・1・7は決して忘れることのできない日になりました。
  
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